北欧フィンランド・大学院留学記
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1. 序章
2016年8月末日、これまでの感謝とこれからの期待を胸に、関西国際空港のラウンジで搭乗便を待っていた。ヘルシンキ行き・フィンランド航空 AY078便の搭乗時間を待つ間、家族や友人がくれた手紙やLINEを読み返すと、涙が出そうになった(というか、少しでた)。
いくら自分が選択した道とはいえ、期待や楽しみ以上に、不安が大きかったのかもしれない。
自分の新たな挑戦を応援してくれているかのように、運良くフィンランド航空のシートがビジネスクラスへとアップグレードされた。ありがとう、フィンエアー。
マリメッコのアメニティ等、機内ですでにフィンランド色を体感し、テンションが上がる。大学院を卒業後、日本へ帰るのか、フィンランドへ残るのか、どうするのかなーとか、フライト中色々考えを巡らせていた。
この先の詳しいキャリアなんてわからない。でも、いろんな縁がありフィンランドへ行くことになり、直感を信じ抜く勇気と自分の選択を正解にするという決意、そして根拠無き自信があったのは確かだった。
まさに、このブログのタイトルにもなっている「Go with the flow (流れに身を任せること)」に沿った決断であった。
そして、この先どんな出会いがあり、どんな景色やシーンに出くわし、どんな経験をしてどんな感動やカルチャーショックを体験するのか、まさに ’ワクワク・ドキドキ’ という感情が多くを占めていた。
ガイドブックで読んだ通り、飛行機から見たフィンランドの大地は、至る所に湖があり、まるで国全体が水溜りのようだと感じたのはいまでも覚えている。
(フィンランドには、18万8000 もの湖があると言われている。)
その後無事ヘルシンキへ到着し、自分の住む街へ移動して学生寮へ入り、スムーズに大学院生活をスタートさせることになった。
フィンランドでの大学院について、もしくはこの国での生活について、僕自身の体験を通して少しでも興味を持ってもらえればと思う。
*以前に書いた以下の英語版でのブログにフィンランド人からわりと多く反響いただき、日本語でも書いたら?と、とある人にアドバイスいただいたため、それを翻訳・加筆修正したものです。あくまで僕個人の経験に基づいた留学記なので、違う意見を持つ人もいるかもしれませんが、一例として読んでいただければ嬉しいです。
2. そもそもなぜフィンランドへ?
海外の大学院をぼんやりと意識したのは、大学時代に過ごしたカナダ・バンクーバーでの1年間の留学中だった。とはいっても、次に行くなら北米ではなくヨーロッパがいいなあと考えていた程度。
卒業後、国内の某半導体企業で3年半働いた後、退職しフィンランドへ来たわけだが、元々はバルセロナのビジネススクールへ行くことを考えていた。
理由は単純。FCバルセロナのファンだから、そこで学生生活を送ると、毎週のようにバーやスタジアムでサッカー観戦ができるかもしれないという、超シンプルな動機だった。
社会人2年目の夏、休暇を利用し実際にバルセロナへ調査に行った。温暖な気候、美しい地中海とビーチ、そして世界に誇るバルサの本拠地 カンプ・ノウ・スタジアム。この街で暮らせれば素敵だろうなと思った。
「風の影」というバルセロナが舞台の小説の中で、『人の肌にしみ込んで、気づかないうちに魂を奪う魔性の都市』と表現される意味もよくわかった。
ただ、現地の学生から話を聞いたり候補としていた大学のキャンパスを訪れたりと、いろいろリサーチをした結果、授業料がわりと高いこと、大学からの奨学金の少なさ、学校のシステムがさほどうまく機能していないことなどが判明。
特に、高額な授業料は当時の自分にとって大きなネックポイントであった。
後日、「授業料が無料もしくは低額のヨーロッパのビジネススクール」という条件で調査したところ、フィンランド、ノルウェー、エストニア、ドイツであれば外国人でも無料だとわかった(当時の情報)。
合わせて、たまたま知った大学院留学専門サポート機関からもサポートいただき、応募先の大学を慎重に選定し、応募の準備を開始。
調べれば調べるほど、上記4カ国の中でも、これまであまり馴染みのなかったフィンランドという国への興味が増した。気がつけば直感的にフィンランドへ行くことを決めていた。
そしてその決断に間違いはなかったと、今は胸を張って言えると思う。
結果、無事志望していた大学院のプログラムへ合格。ちなみに、勤めていた会社へは、合格が決まってから伝えた。
滞在許可の申請のため、東京にあるフィンランド大使館へ行ったりと、出発前の諸々の準備を経て、当初「サンタとムーミンの国」というぐらいの予備知識しかなかったフィンランドにて、修士学生を始めることとなった。
*留学にあたってのプロセスなどは、こちらの記事をご参照ください。
3. 大学院生活スタート
「Welcome to Finland! 外国人のあなたたちにとっても、今日からここが home universityです!」
大学のスタッフの女性が、力強いスピーチで外国人学生向けのオリエンテーションを始めた。
周りには、自分と同じ ‘Master of Science in International Business and Entrepreneurship’ のコースの学生たちが座っている。世界ほぼ全ての大陸から集まって来たクラスメートたち。
実は自分が入学した2016年は、フィンランドにてEU圏外の学生でも学費が無料である最後の年だった。そんな事情もあり、わりと選考段階での競争も激しかったらしい。
フィンランドの大学では、自分たち外国人学生にはそれぞれ ’チューター (Tutor)’ と呼ばれる、新生活での適応(引越しや銀行口座の開設など)を手伝ってくれる現地の学生がいた。
学生証の名前が、本名のDAIKI ではなく DAILY と印刷ミスされたことを除いては、とにかく親切なチューター ’Eleonora’ のおかげで、特に大きな問題なく新生活をスタートさせることができた。
この後、気分の浮き沈みはあまり大きくないものの、異文化適応やカルチャーショックに関していくつかのステージを経験することになったが、ここでは省かせてもらうこととする。
(*詳細は、以下の記事をご参照ください。)
以下、ソーシャライゼーション(日頃の付き合いや友人との交流)、授業(アカデミック・ライフ)、フィンランド語学習と、3つの項目に分けて留学生活を紹介したい。
また、フィンランドらしさを象徴するこの国の特徴や、ここでの生活から得た気づきも、複数点に絞って紹介したいと思う。
4. ソーシャライゼーション
・学生パーティーとイベント
9月と1月、各セメスターの初めには、新入生歓迎パーティーや学生パーティーがいろんな場所で、各学部や学生グループによって開催される。
その中でも、特にフィンランドらしいパーティーといえば、湖のそばのサウナ付きのコテージで開催される交流パーティーだろう。
程よくお酒を飲んだら、サウナで体を温め、湖に飛び込んでクールダウン!というのがお決まりだが、9月上旬のフィンランドの夜の湖は、とにかく冷たかった。ちなみに、サウナは水着着用の男女混浴だったが(場合による)、全裸で入る地元の男子学生もいたのは小さな驚きだった。
こういったイベントを通じて、一般的にシャイだと言われるフィンランド人にとって、社交の場での「サウナ」と「お酒」が持つ意味の大きさを身をもって体感した。
現に僕は学期が始まって3日目のサウナパーティーにて、ムーミンに少し似た酔っ払った1年生の男子学生から、何度か「Where are you from?」とフィンランド語アクセントの強い英語で同じ質問をされた挙句、頰にキスされそうになった。
運良くかわすことができたが、今となっては良い(そうでもない?)思い出である。
また、そういったパーティー以外にも、様々なイベントが大学や街で開催された。
とはいえ、森へのハイキングやアスレチック・アクティビティーなど、大都会ではなく、街中からでも自然へのアクセスが容易なこの国だからこそのイベントも多かったように思う。
そういった場には、エラスムスでくるEU圏の交換留学生や、僕のような外国人の正規学生も多いので、基本的に必要な情報は英語でシェアされていた。
それに加え、外国人に対して極力 ’ランゲージバリア’ を作らないように意識し、たとえ複数人のグループ内であっても英語で話そうとしてしてくれるフィンランド人学生が多かったのも、ありがたかった。
・友人との交流
僕を含め多くの学生が、街の複数箇所に位置している学生用アパート(月額約250 – 400ユーロほどでわりと良心的な価格)に住んでいたため、授業やイベント以外で他の学生と出会うこと自体は難しくなかった。
ただ、カナダに留学していた時のように、アパート付近で出会う知らない人に突然話しかけ、自己紹介し、友達になるようなことは、個々人の ’パーソナルスペース’ の尊重を期待されるフィンランドでは起こりにくい。
ただ、一度相手のことを知ると、良い距離感で誠実な関係を築きやすい人たちが多いと、個人的には感じている。
(フィンランド人の特徴については、VisitFinlandの こちらの日本語記事がおもしろいです。)
そんな環境の中、他の学生たちとの良い交流の場になったのは、アパートにある共用サウナだった。
ちなみにサウナ発祥のこの国では、人口550万人に対して、サウナは国内に各家庭や公衆サウナ、会社のオフィス付属のサウナなど合わせて、 200万個 とも 300万個以上 とも言われている。
(オススメのサウナ本です。。)
サウナは週に3回、夜に男女各1時間無料で開けられていて、暗くて寒い冬の間に体を芯から温めてくれるだけでなく、アパートの隣人や新しい人と出会う交流の場として、大きな役割を果たしてくれた。
サウナとお酒はフィンランド人をフレンドリーにする、とよく冗談(というか自虐?)で言うフィンランド人も多いが、裸の付き合いがもたらす効果は大きかった。
他にもうひとつ、交友関係を広げるのに役立ったことといえば、日本の料理を振る舞うことだった。
自分が日本人だというと、「SUSHI 作れるのか!?」と期待を込めた眼差しとともに聞かれることがよくあったのだが、日本人としてのプライドもあり、そして「NO」と言った時の相手のがっかりした表情も容易に予想できたたため、「もちろん」と答えることにしていた。
作れると言ったからには、作るしかない。
ということで、Youtubeで色々勉強し、ちょっとしたSushi Party を何度か開いたところ、大好評だった。彼らの胃袋をつかむことで、少しは「面白いやつ」と思ってもらえたかもしれない。
ただ、僕の寿司以上に人気だったのは、イタリア人の作ったティラミスだったことは、正直に認めなければならないだろう。
(彼女たちが教えてくれた簡単レシピはこちら)
5. 授業(アカデミック・ライフ)
・専攻コース
ビジネススクールの中の、僕が所属していた International Business and Entrepreneurshipというプログラムでは、名前の通り国際経営や起業論、そしてマーケティング経営戦略に関する授業が中心だった。
大学の頃に交換留学をしたカナダの大学と比べると、プレゼンやグループワーク、エッセイなどアウトプットがメインの課題の量は多かったが、リーディングの量は少なめであった。
というより、「必須のリーディングはこれだけ。もっと読みたい人は、このリストから自由に選ぶこと」というような、学生の自主性に任せる教授が大半だった。
20人から30人ぐらいのレクチャー形式の授業がほとんどで、意外にも学期末の筆記テストがある授業は少なく、代わりにファイナルペーパーやエッセイ、プレゼン、ラーニングダイアリーなどの総合点で成績が決められる場合が多かった。
そういったレクチャー形式の授業に加え、実際に地元の企業のプロジェクトに参加するという実践的な機会を提供している授業もいくつかあった。
例えば、僕が他数名のクラスメートと授業の一環で参加したのは、フィンランドのとあるグローバル企業のプロジェクトで、主要国におけるソーシャルメディアの利用状況を調べ、BtoB向けのManagerial recommendation (経営戦略上の提案)を作成し、経営陣へプレゼンするという内容だった。
その様子は、なぜか地元の新聞やテレビでもニュースになった。
このような機会を始め、フィンランドは、一般的に学生に対して寛容でアクセスしやすい企業が多いと思う。だからこそ、行動することの大切さを実感する機会も多かった。
また、おそらく学部やプログラムによりけりなので ’フィンランド’ と一括りにはできないだろうが、授業を通して全般的にグループでのプレゼンやプロジェクトなど、教授陣はグループワークを重視する傾向が強いと感じた。
多様な背景を持つ学生たちのインタラクション(相互作用)を促すことを目的にしたこのような授業スタイルは、異なる価値観を持つ者どうしで学び合うことになり、刺激的な体験を得られることができた。
ただ同時に、考え方や文化の違う人たちとプロジェクトを進める大変さ、そこからくる苛立ちや無力感を感じるときがあったのも事実だった。
特に1学期目での授業での失敗といえば、授業のディスカッション等の時間で、進んで発言できなかったこと。
弾丸で発言するクラスメートたちの間にカットインする勇気と難しさ、そしてこう言えばこう思われるんじゃないという無駄な心配。「意見を言わない=意見を持っていない」とみなされる場合もある。それにより、授業に参加した感じがしない時もあった。
でも、時間を経るにつれ、実際他人はあまり自分のことを見ていないこと、そして発言の中身とオリジナリティが重視されることに気付き、数ヶ月前の心配・葛藤は、当たり前の日常の出来事に変わっていた。
・選択コース
大学では、ありがたいことにフィンランド語だけでなく、英語で開講されているコースも多く、修士の専攻コースの授業だけでなく、わりと幅広く他学部の授業を受けることもできた。
まあ、専攻のコースやフィンランド語の授業でスケジュールは埋まるので、かつてのスティーブ・ジョブスのように、選択科目の中から面白そうな授業だけとにかく受けまくる、みたいなことはできなかったが、良い息抜きにもなったし、また違う角度から普段の生活をみるきっかけにもなった。
例えば、Intercultural Communication (異文化コミュニケーション)の授業。
下記のような、「ホフステッドの6次元モデル」による文化比較など、まあ基本的な理論やモデルが授業で紹介された。
いろいろな外国人と働く上で、物理的距離ではなく文化的距離感の違いを認識することの大切を再認識した。(もちろん、この指標はすべての人に当てはまるわけではなく、あくまで参考値だが。。)
加えて、僕が1学期目のとある授業にて、時間や約束、期限を守らず、またミーティング中に急に消えたと思ったらネパール料理屋へカレーを食べに行っていたものの、全く悪びれていないインド人のクラスメートとのグループワークで苦戦したことも、そういう文化的な観点から見つめ直し、じゃあどんな対策(というか作戦?)が必要か考える、良いきっかけになった。
他にも、フィンランドの強い分野であるプログラミングや教育に関する選択科目などを受講することで、興味の幅が広がったと同時に、この国に関する理解も深まったように思う。
・修士論文
フィンランドでの1年目の全ての授業が終わった頃、修士論文のセミナーが開かれた。
それぞれの学生が、自分の興味に応じて大まかなテーマを決め、それに応じて学部から担当教官を指名もしくは割り当てられ、細かなテーマを決定するという流れだった。
「Master’s thesis is like a marathon. (修士論文はマラソンのよう)と、私の担当教官は言っていた。
テーマの決定をした後、関連論文の読み込み、データ収集やリサーチ、執筆、校正など、数ヶ月単位の時間軸を必要とするので、決めたスケジュールに沿ってコツコツやらないといけない、ということの例えだった。
ただ実際には、授業料が無料であることや卒業前に仕事を始めたりなど、修論執筆のモチベーションを減らす環境もあり、修論を終わらせることなく何年も「長い長いマラソン」の最中にいる学生が多いのも、フィンランドの教育におけるひとつの特徴かもしれない。
僕自身は、教授とのミーティング中のたわいもない会話の中から、フィンランドにおける日本食レストラン業界と、個人的に興味を持っていた経営学の理論を関連させるテーマで進めることになった。
そして、執筆を始めてから約1年後に完成した。(修論へのリンクはこちら)
働きながら書いていたこともあり、文字通りマラソンのようで多少時間かかったが、それでもクラスメートたちの中では早いほうだった。
同時に、修士論文でヒイヒイ言っている自分には、博士課程や研究者というマラソンはやはり向いていないと気づけた良い機会にもなった。
6. フィンランド語学習
・大学での授業
大学では、専攻の必修科目に加えて、外国人学生はフィンランド語の授業を最低ひとつは受講しないといけない。
たった550万人にしか話されていない言語で、エストニア語以外の言語とは全然似ていなく、そして世界でも最も難しい言語のうちのひとつということで、一部の学生を除いて意欲を持ってフィンランド語学習を続ける外国人学生の割合は多くなかった。
ただ、自分自身は、その一部の(モノ好きな?)学生のうちの一人だった。
確かに、今後フィンランドで暮らすにはフィンランド語の習得はMUSTだし、何年も住んでいながらフィンランド語を学ぼうとしない外国人を見て、自分はそうはなりたくないなあとか思ったのも事実。
そんないろんな思いもあったが、何よりフィンランド語の響きが好きだというのも大きな理由かもしれない。
抑揚のあまりないフィンランド語はダサい!と自虐するフィンランド人もいるが、個人的にはフィンランド語の響きは心地良い(こんな感じ)
完全に個人の好みだろうが、特に女性が品良く話すフィンランド語は美しく感じる。(バーにいる酔っ払ったおっさんのフィン語は全然美しくない。)
そんな理由により、大学での授業から始め、卒業しこの国で働きながら、今もコツコツと続けている。現在中級レベルだが、道のりは長し。。。
・自習学習
大学では、授業以外にもフィンランド語を練習できるチャンスがあった。
例えば、’Each One Teach One’ という、自分の母語を勉強している学生どうしがパートナーとなり、定期的に会って会話の練習をするという制度があった。
運良く、Each One Teach One に登録してすぐ、日本語を勉強中のフィンランド人学生が見つかり、教科書よりも実践的なフィンランド語を、彼との会話練習から学ぶことができた。
ちなみにこのEach One Teach One、大学のとある担当職員によると、稀に学習パートナーと恋愛関係に発展し、更には実際に結婚までつながった男女のカップルも複数組いるそうだ。
自分の経験上、フィンランド語を勉強しているとフィンランド人に言うと、すごく喜んでくれたり応援してくれるケースが多い。フィン語話者の少なさやフィン語の言葉の難しさを理解しているフィンランド人も多く、「同情するよ!」とか、「フィンランド語勉強するとかリスペクト」みたいな反応をよくされた。
やはり、外国人が自分たちの母語を学んでいるのを、嬉しく思ってくれるのだなと思った。実際、宿題などで不明点があると、親身になって教えてくれる人が大半だった。
ただ、文法とかの質問をしまくると、大抵の割合で「フィンランド人の自分にもよくわからん」と言われ、あぁ慣れなんだなと自分を納得させることになるのだが・・・
フィンランド語を駆使して活躍されている在フィン日本人の先輩方は、やはりかっこいい。
(フィンランド渡航前に自習用に買った本です。)
7. フィンランドで外国人として生活すること
・日々の葛藤
世界的に見ても、フィンランドは治安も良く、社会システム、衛生面、そして生活環境は非常に整っていて、住みやすい国だと思う。
個人的には、日本人に良いイメージを持っているフィンランド人がいると感じることが多いし、それがポジティブに働くことはあっても、何か差別を受けたりしたこともない。(日本の良いイメージを築いてくれた先人たちに感謝)
でも、言語だとか価値観だとか、見えない壁があると感じるシーンは今でもある。
また、「北欧暮らし」と華やかな言葉の響きがあるかもしれないが、それでもやっぱり海外で外国人として暮らすことは、ストレスもかかるし不安や心配事も絶えないし、孤独を感じることもある。
フィンランド人やヨーロッパの友人が、クリスマス休暇で実家へ帰り、店も空いていなくて、一人で寂しいクリスマスを過ごしたこともあるし、「あぁこの考え方・価値観は、根本的に理解してもらえないんだなあ」と感じる状況もある。
ただ、そういうプロセスを経たおかげで、自分の中でポジティブな変化があったことも事実だ。
イチロー選手は引退会見で、
「アメリカで外国人になったことで人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れたんですよね。孤独を感じて苦しんだ体験は、未来の自分にとって大きな支えになるんだよと今は思います。」
と言っていたが、海外暮らしの葛藤とそれが生むものを、うまく表していると思う。
確かに、他人への想像力や寛容性、不測の事態への対応力など、以前より少しは培われたし、同時に「なんとかなるさ」的な考え方も持てるようになったなあと、日常のふとした時に感じる。
病院に行くことやアパートを見つけること、カルチャーショックや、前述した授業で悔しい思いをしたことなど、いろんな葛藤に直面したが、何よりもありがたかったのは友人の存在だった。
・フィンランド人の友人の存在
1年間住んだカナダでも、そしてこのフィンランドでも、見返りを求めず親切で、その地に適応するのを助けてくれる現地の人が、不思議と1人や2人いるものだ。
生活面や言葉の習得のサポート、またいろんな情報をくれたり、現地の文化を紹介してくれたりと、いろんな形でサポートしてくれる友人には、感謝してもしきれない。
みんなそれぞれが、ふとしたきっかけで出会った人たちだ。
もしあの授業を選択していなかったら、もしあのパーティーで同じタイミングで同じテーブルに座っていなかったらなど、小さな選択の積み重なりの結果、知り合った人たち。
そう考えると、やっぱり出会うべくして、縁あって出会ったのかなあとも思うときがある。
まさに、国民的アニメであるワンピースの中での、
『この世には偶然などないのかもしれない。全てが必然であるかのように、縁はやおら形を成していく』
という言葉通りかもしれない。
そして僕自身、そんな友人たちのおかげもあり、フィンランドでの生活も3年が経ち、生活基盤も少しずつできてきた今だからこそ、少しは Pay It Forward (ペイ・フォワード)の如く、かつての自分と同じような境遇にある人の力になれればとも思う。
8. 生涯学習としての教育
・多様性溢れるクラス
大学院での専攻科目の授業での特徴のひとつは、授業を受けている人たちの年齢層の幅広さだった。これはもしかすると、ビジネス系のコースだからかもしれない。
大学を卒業してそのままフィンランドへ来た人もいれば、僕のように数年の職歴を持った人や、60歳を超えた現役の起業家もいる。
また、それぞれのバックグラウンドに関しても、フィンランド空軍のパイロットから、出産を終えて毎度授業にベビーカーを押してやってくる人まで、様々だった。(授業中に赤ちゃんを抱えていても、誰も気にしない。)
特にフィンランド人の学生に関しては、年齢からバックグラウンドまで幅広く、教育というのがある一定の年齢の人が受けるものというよりも、いつでも誰でも受けるべきものという「生涯学習」という考え方が社会に根付いているように感じた。
もちろん、僕が関わった人たちは、何か目的を持って高等教育を受けに来ているわけなので、フィンランド人みんながそうというわけではないだろう。
それでも、
「いくつになっても、10年後より今のほうが10歳若く可能性が大きいから、何事も遅すぎることはない」
といったような考え方が浸透しているから、学び直しとか新たなチャレンジがしやすいのかもしれない。
・教育へのアクセスの豊富さ
このように、年齢にかかわらず教育を受ける人が多いのは、やはり教育へのアクセスが容易であることも大きい。すなわち、自分の学歴や環境に応じて、様々な選択肢がある。
例えば、大学や応用科学大学に入学して学位を取ることもひとつだが、たとえその大学の学生でなくても、’Open University’ と呼ばれる、正規の学生以外へも開講されているコースから、自分の興味に応じて語学や教養科目を受講することも可能だ。
また、各地域にある ‘Adult education center’ でも、ビジネス関連や語学から、音楽やアートのコースまで幅広く開講されており、キャリアアップのために学ぶ人もいれば、趣味の一環として受講する人もいる。
こういう彼らの学びへの姿勢から、人生で何事もやりたい・学びたいと思ったときが旬なのだから、「そのうちに・・・」と先延ばしする理由はないんじゃないかと思うようになった。
9. フィンランド的ライフスタイル
・世界一幸せな国?
世界幸福度ランキングで、フィンランドはよく1位とか2位にランキングされているのを知っている人は多いと思う。
でも実際日常生活の中で、フィンランド人から「オレ幸せだぜ感」はそこまで感じない。というか、醸し出している人はあまりいない。
なんなら、冬は寒くて暗いし、自然以外の娯楽の場は少ないし、日本ほど食生活も豊かでないし、店も遅くまで開いてないし、、、などなど、もちろん全てが揃った理想の国というわけでもない。
ただ、治安や自然環境、政治経済の安定性、教育の質など、生きるのに基本となる重要なものは、世界の中でも最も恵まれた国の中のひとつだと日々の生活の中で感じることは多い。
だからこそ、過渡な心配とか不安を抱かず、いろんな意味での”余裕”を持って生活ができることにつながっているんだろう。
フィンランドが舞台の映画「かもめ食堂」の撮影で、1ヶ月この国に滞在した片桐はいりさんは、エッセイ「わたしのマトカ」の中で、
『ささいな理不尽にいちいち目くじらを立てて、小さな復讐を繰り返すよりも、もっと上等な武器を手に入れたような気がした。余裕、と言う武器。思えば今まで、なんて前のめりに暮らしていたものか。』
と述べているが、大都会で生きている女優にもそう思わせる環境が、フィンランドにはあるのだろう。
そう言ったことに加えて、なんというかこれは僕個人の感覚だが、幸せの基準というか、閾値が低い人が多いような気がする。
これは、世界幸福度ランキングで上位に位置している他の北欧諸国にも、通じるんじゃないだろうか。
ちなみに、世界幸福度ランキングに関するこちらの記事では、「フィンランドは昨年と同様、国内に暮らす移民の幸福度でもトップだった」と書かれている。
ただ同時に、「EUの中でもアフリカ系移民に対して最も差別の激しい国という調査結果 」が出ているのも事実であり、興味深い点でもある。
・フィンランド的価値観
フィンランド人と遊んだり、自宅を訪問したり、恋愛したりと、一緒に時を過ごした中で、特に良いなあと思ったのは、日常の些細な出来事を楽しむということだった。
太陽輝く短い夏は、湖畔沿いでの日光浴やバルコニーでくつろぎ、市場で新鮮なベリーや野菜を買い、カフェやバーのテラス席で友人と会う。
寒くて暗い冬は、部屋にキャンドルを灯し、サウナで冷えた体を温め、凍った湖でスケートをしたり。。。
うまく言えないが、あるものを最大限楽しみ、同時に制限のある環境の中で、小さな工夫を生活に取り入れるのがうまい人が多い。
正直、「今のことだけではなくて、もう少し先のこともしっかり考えろよ!」と突っ込みたくなるフィンランド人もわりといる。特に日本人の感覚からすると、のんびりしすぎに見える人も多いと思う。
でも、このような『「今」当たり前のことは「今」楽しむ』という意識を、自分ももう少しは取り入れられればいいなあとは思う。
他にも、日本人の考え方、フィンランド人の考え方、似たものも異なるものもあるけど、自分がいいなあと思うものをうまく取り入れて、自分に合うようにミックスさせればいい。
そこは良い意味で、他人に干渉しない人が多いフィンランド。
多少何かの点で自分と価値観が違っても、相手をリスペクトして、話をよく聞いて、同じように自分の考えを楽しく涼やかに伝えれば、心地よい関係を築きやすい人はわりと多いなあというのが、この3年間で感じたことだ。
10. 卒業後
2019年の4月に、正式に大学院を卒業したが、実は卒業後特に大きな変化があるわけでもない。
卒業前に仕事を見つけて働き始める人も多く、卒業までに要する時間も人によりけりというのは先述したが、僕もそうだった。
修論を除いて、全ての単位を取り終えた後、2018年5月からサマージョブという形でとある会社で働き始めた。夏の後は、修論を書きながら同じ会社でインターンシップという形で仕事を続け、そして卒業後は正式なポジションで仕事を続けている。
今後の明確なキャリアパスは決めていないし、細かく決めるつもりもない。ただ、一従業員としてずっと同じ会社で働くことはないと思う。
イメージとしては、フィンランドを拠点にして、他の国へも(もちろん日本へも)、活動範囲を広げて行きたい。
ただ、無料で大学院教育を受けられたことに加え、学生割引や安価な学生用アパート、そして学生向けの医療保険など、フィンランドから受けた多大な恩は、がっちり働きしっかり稼いで税金納め、また雇用を創出して価値を生み出すことで、返していきたいと思う。
フィンランドに来るという決断は、これまでの人生の中でも、最もベストな決断のひとつだといえるし、今後もそう言えるように過ごしていきたい。
僕自身日本は大好きだが、将来的なキャリアや子育て、生活環境などを考えると、フィンランドを拠点にして今後もしばらくは暮らしていきたいと思っている。